まだら猫の毎日明るく元気よく日記

生活について書きます。

アドラーと二村ヒトシ

アドラーの本を昨年の年末はよく見た気がする。僕も読んだ。自己啓発の源流と言われるだけあって、ブラック企業の思想とマッチもすれば、自分を成長させてもくれる考え方で、両面を理解することが大切だと思った。

この本の通りに思考していれば、そう簡単にうつにはならないだろう。アドラーは、現実に対する認知を問題とする。ある現実に対し、「楽しい」と思うか「怖い」と思うか「辛い」と思うかは認知の問題である。つまり、一つの現実に対し、ある感情をあてはめるには、その目的がある、とアドラーは考える。だから、「辛いと思うのは自分が辛いと思いたいという欲望があり、それはこの現実から逃げ出したいという目的があるためだ」という感じの説明が可能となる。どんなに過酷な現実であろうと、認知ひとつで現実に対する評価は変わる、と凡そこんな感じだろう。

この考え方は情動→感情という人間のシステムを見落としている一方で、生産的な考え方でもある。この考え方を知っているだけでも、少しは現実に対する認識を改めることで、能動的に現実に立ち向かうことが可能だからだ。だから、自己をハックし続けるための思考ツールとして使うのが賢いのではないかと思う。トラウマを否定したり、フロイトを否定してしまうというのもどうかと思うのだが。

一方、二村ヒトシの本も面白かった。二村ヒトシは、フロイトのトラウマの議論をもとにして、優しく恋愛書を書いている点でアドラーとは異なる。「人間関係的な苦しみは、両親によって開けられた心の穴が原因である」と認めて、親のせいにすることを認め、これをブリッジに自己回復(?)を図る。アドラーとは対を成すが、一般的に受け容れられるのはこちらかと思う。

ということで、恋愛で悩んだ一年でもあった。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

この本を読むきっかけは、國分先生の人生相談の本で言及されていたことによる。