まだら猫の毎日明るく元気よく日記

生活について書きます。

ミルグラム「服従の心理」を読んだ

 

服従の心理 (河出文庫)

服従の心理 (河出文庫)

 

 

スタンレー・ミルグラムの「服従の心理」を読んだ。いわゆる「アイヒマン実験」という一般人が権力の命令にどこまで従うのかを観察した実験の考察であるが、とても面白かった。というのも、いま私は権力構造そのものである官僚機関で働いていて、仕事もばりばりの権力の執行をしているから。やんわりと書くと、人の財布に手を突っ込んで金を取ることをしている。誰も進んでやりたいとは思わないだろう。当然文句も言われ罵られる。「夜道気をつけろよ」とかも言われるし、殴られそうになることもある。その仕事をやれと言われた時、そんなことはしたくないと思った。したくないと思ってしなくて済むのなら仕事ではない。そう思ってやっているのだが、この自己了解のプロセスこそ、この本に書かれている「エージェントモードに入る」ということだった。仕事内容を更に大きな大義に結びつける。つまり「社会秩序の維持」というような大きな目的に結びつける。そして、自分の行動の中身には責任がない、と上司に責任を預ける心理的な働き。義務感。大きな組織の中で働く人間にとって、権力構造の一こまになるための心理構造の変化が記述されている。権力構造の中に身を置いて命令に従う人間にとって、個人的道徳観というのは無力以外の何物でもない。

服従の本質というのは、人が自分を別の人間の願望実行の道具として考えるようになり、したがって自分の行動に責任をとらなくていいと考えるようになる点にある。( p10)

 

多くの被験者たちに直接意見をきいたら、(中略)道徳的な要件については、だれにも負けないほど強く同意する。(中略)でもそれは、状況の圧力下での実際の行動とはほどんど、いやまったく、関係ない。(p22)

 

圧政を永続させるのは、自分の信念を行動に移せない内気な人々である(p28)

 

人は自分の独特な人格を、もっと大きな制度構造の中には埋め込むにつれて、自分の人間性を放棄できるし、また放棄してしまう、ということだ。(中略)各個人は(中略)良心を持っている。だがその人が自分自身を組織構造に埋め込むと、自律的な人間にとってとってかわる新しい生物が生まれ、それは個人の道徳性という制約にはとらわれず、人道的な抑制から解放され、権威からの懲罰しか気にかけなくなる。(中略)命令が正当な権威からきていると感じる限り、かなりの部分の人々は、行動の中身や良心の制約などにはとらわれることなく、命じられた通りのことをしてしまうのだ。

 

 本の中では実験内容が些細に記述されており、中には笑ってしまうような箇所もある。3日くらいで読めるのでオススメ。