たもたす。

人文系が好きなアラサー社会人です。読んだ本、観た映画、日々の記録。好きなピアニストはリパッティ。

ピアノ

7月の末から10日間、ワルトシュタインの1楽章を力づくでさらって、8月2日以降、バッハのパルティータ1番をさらっている。2曲目まではなんとか曲になってきた。いまは9月の17日か。ざっと40日間といったところ。17歳のころ習うのをやめてからざっと10年間、ちょろちょろ弾きつつも習っていなかったブランクは大きい。でもまあ、このパルティータが少し弾けるようになったら、平均律を2曲さらいたい。モーツァルトはもう1楽章なにか弾きたいな。
あとは

これが弾ける頃には熱情の1楽章、ワルトシュタインの3楽章も弾けるだろう。そしたらショパンのバラードかスケルツォも何か弾けるかもしれない。ブラームスのラプソディはあまり弾く気になれないんだよなあ。。
そのうちまた弾きたいと思う曲が出てくるかもしれない。

休日

最近ピアノに熱心なのは、仕事外での評価軸がひとつ欲しいという欲望が自分にあるからなんだろうと理解した。趣味のひとつの効用ではあるのだろうけど、複雑だな。

休日

休日。30分のランニングの後、ピアノをさらって、近所のドトールでゆっくり。毎度のことながら、ドトールにいるといろんな人の会話が聞こえる。1つのグループは清原和博のような白のチノパンを履いた色黒の男性と女子大生くらいの年齢の女性2人。おそらく鼠講ビジネスのレッスンを受けている。既にこの女性たちはその仕事に取り組んでいるようだ。マインドコントロールも受けている。今日はこれまでの取り組みの中から出た反省点や疑問について、教祖と思しき清原和博似の男性に話をしていた。清原和博似の男の話は論理がどうとかそういう次元ではなく、「あなた次第だ」という結論にどんな話も落ち着けていた。そういえば、僕もある時斎藤さんというアプリで適当に知らない人と話をしていたとき、美容商品の勧誘をされたことがあった。半年前くらいだったかも知れない。とにかくそういう人と話をすると、「何かに囚われている」感がまず伝わってくる。「その事実はどう調べたのか」「誰から聞いたのか」「なぜそうなのか」聞いていくのはまるで説教をしているみたいで、たいていの場合はそんなことはしないけれど。

もう1つのグループは、母と娘の2人で、おそらく働いていない長男(もう35〜40くらいのいい歳なのだろう)がボランティアを始めるということに対して意見を言い合っていた。母親は肯定的、娘は否定的だった。母親の気持ちは分からなくもない。ボランティアで何であれ社会と結びつきを得ることはためになるから肯定していたのだろうと思う。娘は、ボランティアのような無償労働ではなく賃金労働をすべきだという立場だった。分からなくもない。この2人の話は平行線のままで、そのうち違う話題に移っていった。

僕はといえば、昨日から三連休なのだけど、先月お金を使い過ぎたために最寄りの駅からどこにもいかず過ごしている。昨日はピアノのレッスンだった。そのあと、別に楽しくもない職場の飲み会に顔を出した。今日はショパンをさらってラズモフスキーをさらっている。明日はTOEICの試験だ。