無題

今朝の夢

デートする夢。腕を組み楽しく。途中僕が着替えようと更衣室に入ったり髭を剃ろうとしたりバタバタしていて、荷物を忘れたり、ずーっと一緒にいたわけではなかった。

残業

残業でレッスンに行けず。必ずこういう日はある。何とか、帰宅が遅くなっても2時間は弾いている。毎日。

無題

ヤマハでグランドピアノを弾かせてもらう。響き過ぎて、音を制御できない感じ。貴重な体験。
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‪出している音は、全てではないけれども自分の一部を差し出しているので、なんだか今日はナイーブになっている。‬あまり、そういう、音は自分の一部みたいな考え方は好きじゃないけれども。
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我々にとって、音楽とはまず聞くもの、受容するもの、与えられるものだ。コンビニに入れば何かしらの曲が流れているし、銀行ではクラシックが流れているし、テレビをつければ音楽が後ろで鳴っている。よく知らないけれどフェスというものや、ライブというのも聴くために行く。なによりも、我々にとって音楽とは聴くためのものだ。

音楽祭というふうに聴くと、やはり聴くものである。NHK音楽祭、○○音楽祭、ラフォルジュルネ然り。お祭りだから、主催側と聴衆にわかれる。二項対立。演奏する側と、聴く側とに分かれるのは、正確なことは言えないけれど近代以降のような気がする。

無題

ヴィオラは弾く時間自体はかなり減っている。学生の頃、一年目なんかは毎日3時間は弾いていたし、練習時間比で考えると、雲泥の差があるにも関わらず、年々上達しているように感じる。できることは増えたし、音のクオリティも良くなってきた。週末に触ることが出来れば、かつ平日も毎日少しでも触れればまったく、今の活動内容であれば問題がない。
果たしてピアノはどうか、という問題だ。いずれ、毎日触ることが出来なくなる時期が来る。そして僕はまだ自分の限界地点を知らない。いやヴィオラもそうかもしれない。
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思い描いている地点が違う。前にも書いたことがあるかもしれないけれども、ヴィオラソリストを務める姿を僕は思い描いてはこなかった。ぼんやりと、「あのオケで首席で弾けたらいいな」と。なによりもまず、オーケストラの一員となって音楽に参加できることが目標としてあり、その中で、責任を負いながら役割を務める(仲間と共に音楽を創る工程を通じて満足感を得る)ことを目指してきたように思う。そのための技術であり、そのための音楽知識であった。音楽よりも先にコミュニティの所属感があった、と言い換えても良いのかもしれない。

今、僕は音楽を学び直している実感がある。これまでの人生の中で、一番音楽そのものを学んでいる。

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モーツァルトソナタを弾いてから。
ベートーヴェンテンペストで腕慣らしをして、悲愴全楽章を終え、ブラームスのラプソディを弾く。そうしたら、メンデルスゾーンのトリオは想定外だったけれどもこなした先には熱情全楽章だ。その先には何があるだろうか?個人的にはロマン派よりも古典の方がただ弾くだけでは曲にならない分難しさを感じている。