僕はどこからきたのか、僕は何者か、僕はどこへ行くのか

よく観察すること。普通の日記を書きます。

エージェントモード、fitbit

fitbit を購入して10日が経った。毎日6時に起きて約3〜4キロのコースを20分くらいでゆっくり走る。身につけているのはメッシュ生地のタンクトップ、下はユニクロのエアリズム。左腕にfitbit altaHR、右手にマンションの鍵。
20分も走れば、心拍数は140前後まで上がり、快楽物質が脳内に行き渡る。息が上がってぜいぜいすることはない。走り終えたら心拍数が100に下がるまでクールダウンし、シャワーを浴びて髭を剃る。リビングに戻ってアボガドにオリーブオイルをかけたサラダを食べて、ティファールで沸かしたお湯でインスタントコーヒーに無塩バターを一欠片落としたバターコーヒーを飲む。これまでで約一時間だ。それから家の横にあるドトールに入って、更にアイスコーヒーを飲む。通勤の電車に乗るまで30分間の時間がある。メールの返信をして、本を読んでSNSを開く。乗る電車の5分前になると全てを鞄にしまってkindleか本を脇に抱えて駅へ向かう。ドトールから僕がいつも乗る駅の3番線ホームには、4分あれば余裕で着くからだ。

この一週間はスタンレー・ミルグラムの『服従の心理』を読んでいたのは昨日書いた通りだ。エージェントモード。職場に着く頃には、僕はエージェントモードに入っている。お喋りをして仕事をしない人たちに対して不機嫌になり、上司の意思は自分の意思であるかのような、責任感 ー 血税によって生きているという責任感、それが権威システムの命令によって産まれている義務感との違いを僕は区別できていない ー があるため、真面目に結果を出さない人間が好ましく思えないのだ。それは、小学校の頃の掃除の時間に真面目に掃除をしない人たちへ感じていた不満感と通じるものがある。僕は再び学校の教室の中に戻ってきたのだろうか?

fitbit のようなウェアラブル端末は久しぶりに心踊る体験だった。僕には、自分の全てをコントロールしたい欲望がある。いつも心打ち砕かれているわけだが。一番は、欲望をコントロールできないことだ。よく言われるように、それを意思の力のせいにするのではなく、アーキテクチャの部分から統制していく方が賢明だ、とは常々思ってきたことだった。あらゆる日常の生活を客観的な数値に置き換えることがその一助になることは間違いない。

ゆくゆくはこうした生体情報が医療分野や福祉分野で行政が活用しようと乗り出してくるのではないだろうか。Googleの『第5の権力』に書かれているように、最早テクノロジーとプライバシーは対置されるような概念ではなくなっている(要出典!笑、確かそんなことが書いてあった)。人々は進んで個人情報を提供しているし、それはairbnbやマネーフォーワードなんかを見てるとよく分かる。進んでリスクを受け入れて、体験を手にする。そうしたテクノロジーを使ってリスクを受け入れる時、私たちはエージェントモードに入っている、とは言えないだろうか。

服従の心理 (河出文庫)

服従の心理 (河出文庫)

第五の権力---Googleには見えている未来

第五の権力---Googleには見えている未来

ミルグラム「服従の心理」を読んだ

 

服従の心理 (河出文庫)

服従の心理 (河出文庫)

 

 

スタンレー・ミルグラムの「服従の心理」を読んだ。いわゆる「アイヒマン実験」という一般人が権力の命令にどこまで従うのかを観察した実験の考察であるが、とても面白かった。というのも、いま私は権力構造そのものである官僚機関で働いていて、仕事もばりばりの権力の執行をしているから。やんわりと書くと、人の財布に手を突っ込んで金を取ることをしている。誰も進んでやりたいとは思わないだろう。当然文句も言われ罵られる。「夜道気をつけろよ」とかも言われるし、殴られそうになることもある。その仕事をやれと言われた時、そんなことはしたくないと思った。したくないと思ってしなくて済むのなら仕事ではない。そう思ってやっているのだが、この自己了解のプロセスこそ、この本に書かれている「エージェントモードに入る」ということだった。仕事内容を更に大きな大義に結びつける。つまり「社会秩序の維持」というような大きな目的に結びつける。そして、自分の行動の中身には責任がない、と上司に責任を預ける心理的な働き。義務感。大きな組織の中で働く人間にとって、権力構造の一こまになるための心理構造の変化が記述されている。権力構造の中に身を置いて命令に従う人間にとって、個人的道徳観というのは無力以外の何物でもない。

服従の本質というのは、人が自分を別の人間の願望実行の道具として考えるようになり、したがって自分の行動に責任をとらなくていいと考えるようになる点にある。( p10)

 

多くの被験者たちに直接意見をきいたら、(中略)道徳的な要件については、だれにも負けないほど強く同意する。(中略)でもそれは、状況の圧力下での実際の行動とはほどんど、いやまったく、関係ない。(p22)

 

圧政を永続させるのは、自分の信念を行動に移せない内気な人々である(p28)

 

人は自分の独特な人格を、もっと大きな制度構造の中には埋め込むにつれて、自分の人間性を放棄できるし、また放棄してしまう、ということだ。(中略)各個人は(中略)良心を持っている。だがその人が自分自身を組織構造に埋め込むと、自律的な人間にとってとってかわる新しい生物が生まれ、それは個人の道徳性という制約にはとらわれず、人道的な抑制から解放され、権威からの懲罰しか気にかけなくなる。(中略)命令が正当な権威からきていると感じる限り、かなりの部分の人々は、行動の中身や良心の制約などにはとらわれることなく、命じられた通りのことをしてしまうのだ。

 

 本の中では実験内容が些細に記述されており、中には笑ってしまうような箇所もある。3日くらいで読めるのでオススメ。

 

近況など

  • 物語、宗教、禁忌

人間には物語が必要だ。なぜなら、人間は、生まれ落ちて意識を持つようになったから。チンパンジーや、人間に近い亜種が意識を持つのかどうか、意識は持っているが、物語を必要とするかどうかは定かではないが、物語は必要とはしないのではないか。まだ。意識レベルが低いと言っていいのかわからないが。動物的なものから離陸し、人間は全体性から切り離され、個々人が意識という世界を持つようになった。どのように生きるべきかプログラムされている動物とは違う進化をしたのだ。個別に、道徳や、世界観をインストールする必要が出てきたのだ。
どう生きたって構わない。けれど、種として生き残る確率を上げるための生存戦略はあった。よく出来た巧妙な物語をインストールする、それが宗教だった。世界の大きな宗教はそういうものだ。
欲望や放蕩に関する戒めの物語が世界共通なのは、それが、生存を脅かすものだったからなのだろう。欲望にはきりがない。それにかまけていると、死んでしまうよ、と伝えている。現実社会では、一応はそうした機能は機能してきた。機能するように社会が整えられてきた。だが、スマートフォンの中はそうじゃない。スマートフォンの中にある欲望。自己増殖していく欲望。絶えず放出されるドーパミン。その渦にからめとられた個人のいく末、というものを人はまだ知らない。

  • 欲望

なぜこんなことを考えたのか、過去の下書きにあった文章を読んでいた。ツイッターの裏アカウントなんかを見ながら考えたのだと思う。スマートフォンの中には無限の欲望があり、個人には節度が求められるーーー一般論。何かしらの法制度が整うのだろうか、みたいなことを考えていた。Airbnbの本なんかを読むと、実際には新しい技術や止めようのない社会の流れが法制度を巻き込んで変化させていく模様が描かれている。権力は規制し、現状維持させるモーメントを働かせる。それに挑み変化させるのが個人だーというような。

  • fitbit

脳の快楽回路や依存症の本をいくつか読んで、運動がいかに脳を正常に機能させるために重要か学んだこともあり、fitbitのaltaHRを買って毎日身につけている。これまでも週に二度、少ないときには月に二度程度ランニングをしていたが、これが毎朝の習慣になった。もう習慣になったといっていいと思う。起きて、朝食を摂るまえに走る。走り終えると脳内麻薬が分泌されているのがわかる。とても気持ちいい。体重も減って、事務処理能力も、走らない日に比べたら上がっている。これはしばらく継続したい。