まだら猫の毎日明るく元気よく日記

生活について書きます。

無題

ヴィオラは弾く時間自体はかなり減っている。学生の頃、一年目なんかは毎日3時間は弾いていたし、練習時間比で考えると、雲泥の差があるにも関わらず、年々上達しているように感じる。できることは増えたし、音のクオリティも良くなってきた。週末に触ることが出来れば、かつ平日も毎日少しでも触れればまったく、今の活動内容であれば問題がない。
果たしてピアノはどうか、という問題だ。いずれ、毎日触ることが出来なくなる時期が来る。そして僕はまだ自分の限界地点を知らない。いやヴィオラもそうかもしれない。
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思い描いている地点が違う。前にも書いたことがあるかもしれないけれども、ヴィオラソリストを務める姿を僕は思い描いてはこなかった。ぼんやりと、「あのオケで首席で弾けたらいいな」と。なによりもまず、オーケストラの一員となって音楽に参加できることが目標としてあり、その中で、責任を負いながら役割を務める(仲間と共に音楽を創る工程を通じて満足感を得る)ことを目指してきたように思う。そのための技術であり、そのための音楽知識であった。音楽よりも先にコミュニティの所属感があった、と言い換えても良いのかもしれない。

今、僕は音楽を学び直している実感がある。これまでの人生の中で、一番音楽そのものを学んでいる。

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モーツァルトソナタを弾いてから。
ベートーヴェンテンペストで腕慣らしをして、悲愴全楽章を終え、ブラームスのラプソディを弾く。そうしたら、メンデルスゾーンのトリオは想定外だったけれどもこなした先には熱情全楽章だ。その先には何があるだろうか?個人的にはロマン派よりも古典の方がただ弾くだけでは曲にならない分難しさを感じている。