エロス、タナトス、シューマンのop17について

我々はみなエロスとタナトスの間で生きる。仕事をしている時、演奏している時、友達とおしゃべりしている時でさえ、エロスとタナトスに支配されている。そして、我々のそれぞれがどの程度、エロスとタナトスに支配されるかというのは、人によるらしいのだ。エロス100%の人もいれば、タナトス100%のひともおり、それ割合というか発現率というのは、その時々によって異なる。タナトスにすべてを支配されてしまったら、精神状態は錯乱してしまう。エロス100%の状態が、生きる上ではこの上なく健康かもしれない。だが、そんな人はいない。我々はみなタナトスを持ち合わせている。
ベートーヴェンシューマンベートーヴェンは遺書を書いたが、シューマンは精神病棟で死んだ。遺書を書くという行為は理性的なものだ。精神病棟に入れられて死ぬという行為は、理性的なものとはなかなか思えない。
ベートーヴェンよりも、シューマンタナトスに支配されやすい人だった、と仮設を立てた。ベートーヴェンの深刻さにはない深刻さ、死により近接していこうとする抗えない意思をシューマンからは感じる、特にop17。具体的に説明を試みるとすれば、付点のリズムがそのまま身体を流していくように思えるからか。1度の進行は、理性の力によって踏みとどまっている印象を与える。1楽章の中間では、進行していきたい和音が、b-moll, as-mollに転げ落ちていこうとする箇所が、c-mollで制御され、理性的にdes-mollに転調される。踏みとどまっている。しかし2楽章では、冒頭から、Gの音に到達してしまう。一気にgの音に到達し、タナトスの勝利を決定づける。ここからの音楽は死者の行進になる。完全に理性から解き放たれて、自由を得た死者の音楽だ。付点のリズムによる和声の進み方は、タナトスの力以外の何物でもない。
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これより先に進むと、何を見ても感動して涙が出てくるような状態になるか、何も書けない状態になるか、対人恐怖になるか、だ。
これ以上近づかないほうがいい。