3/18

情報の差

普段、どういう情報に触れているのかというのが、その人の″普通″を作る。ツイッターのタイムラインは馬鹿にできない。

毒親

一昔前からだろうか、この言葉が出てきたのは。ツイッターでよく読んでる方が絡めてツイートされてて、考えた。他にも、機能不全家族にしろ、ACにしろ、昔からカテゴライズする言葉はあったのだから、真新しい話題でもなく、現実としては多くの人の身に起きていたことだろう。

    • -

僕の母親は、典型的なこれだったかもしれない。実際に体験してきたことはさておいて、該当することが多い。だが、私の今与えられている能力の大部分というのは、母親に無理矢理にでも教育されたものだ。音楽の素養にしろ、学歴にしろ、英語にしろ。でも、大切なところが抜け落ちてたのだろうか。その恩恵を受け、結局のところそこから人生を作っていかなくてはならない、となると感謝する他ないが、これは呪縛から逃れられていないことになるのだろうか?

    • -

父と二人暮らしになり、母親が担っていた部分を二人でしているわけだけれど、とてもじゃないけれど父にそういう力はない。その中で色々と頑張ってくれているけれど。そういうとき、母親の有難さを感じるのだけれど、父だってあと10年生きるかどうか、わからないのだ。

    • -

僕が今の職業を結果として社会人としてのファーストキャリアに選んだのは、多くの部分で親の意思に回帰してしまった、と感じるところが多かった。だからこそ、今こうしているときも、不安を感じる。アドラーなら、そうは言わないとしても、だ。この部分は、答えを出さなければならない。答えを出さなければならないといいながら、ずるずると1年が経ってしまうことは、避けなければいけないよね。今が、人生で一番若い時なのだから。はっきり言って、自分の人生のビジョンがまったく描けないのだ。

    • -

無題

昔出来たことが出来なくなっていることを突きつけられることは、悲しいことだ。悲しいし、辛い。今まで、そんな風に思ったことなんて、あまりなかったけれど、辛いことだ。辛いし、悲しい。一体、なんのために、僕はまた取り戻そうとしているのだろう?母に喜んでもらうためだろうか。そんな気もする。母は、特に音楽に詳しい人でもなかったけれど、「また聞かせてちょうだい」とよく言っていた。

自信

どこかで、自信を持つことはよくないことだと、学習したのかもしれない。小学生の頃だろうか。

無題

こういう場所に、色々と書くと、流れとして「頑張るしかないね」と書く他なくなる。流れとして。でも、本意ではない。人生の長さというのは、時に残酷だ。