山本義隆『16世紀文化革命』を読む

 山本義隆の『16世紀文化革命』を読んで私の正月は終わろうとしている。素晴らしい本であった。17世紀の科学革命(ケプラーほ法則の発見、ニュートン万有引力の法則、ガリレオ、等)の基には16世紀の文化革命があったということを何百人という人物を引きながら説明している大著である。

一六世紀文化革命 1

一六世紀文化革命 1

一六世紀文化革命 2

一六世紀文化革命 2

 その問題設定は、

1543年のコペルニクスの『天球の回転について』とヴェサリウスの『人体の構造について(ファブリカ)』の出版から1600年のギルバートの『磁石論』の登場までの半世紀余は、科学革命におけるエポックメイキングな事件は見当たらないように見える。そのあとケプラーガリレオデカルト、ハーヴェイ、ニュートンの華々しい登場にくらべるとたしかに影が薄い。しかしそれはうわべのことに過ぎない。(中略)メアリー・ボアスの著書『科学的ルネサンス』には「1450年と1630年のあいだのもっとも顕著な変化のひとつは、古代に対する態度の変化である」とある。それをルネサンス研究の泰斗エウジェニオ・ガレンは、次のように記している。

偉大な古典的著作は、15世紀初頭においては、おもに神学分野で生み出された中世の著作にくらべていまなおもっとも完全な文献集たる資格を失わなかった。(中略)それが17世紀初頭になるとすでに乗り越えられていた。古代の著作家はもはや役に立たなくなっていた。入門的教科書としてさえ役に立たなかった。

である。この断絶を架橋しようと書かれたのが本書である。

概説

中世キリスト教世界 → アリストテレス哲学の再発見 → トマス・アクィナスのスコラ学(キリスト教アリストテレス哲学) → スコラ学の形骸化 → ルネサンス(古代文芸の復興)、宗教改革 → 16世紀

 となるわけだが、中世ヨーロッパは文書偏重(ガレノス、ヒポクラテス、ひいてはアリストテレスの注釈、解釈)の時代でありかつ、古代への憧憬、古代の叡智への尊敬から”退歩史観”であった(ルネサンス運動、宗教改革運動もそれに含まれる)。大学がラテン語を使用し知を独占していた他、錬金術や自然魔術にいたっては知は秘匿されていた。また、手仕事をする職人に対する蔑視や、血を嫌うキリスト教は解剖を軽視し、純粋な自然科学の"実験"も行われるべきではないとされていた。

それが

  1. ペストの流行(大学医学の無力)
  2. 戦争技術(重火器)の進歩
  3. 大航海時代プトレマイオスの世界は完璧じゃない)
  4. 印刷技術の発明

を経て、大激動の16世紀を迎えることとなる。
それはまとめると

  1. 計測の精神
  2. 定量的測定・記録
  3. 経験・実験重視の知
  4. 知の公開化
  5. 知の累積的進歩の観念
  6. 大学の知の独占が崩され、職人が俗語で技術書を出版した

等の言葉でまとめることができる。

本書では、数多の職人、芸術家が登場するが、主な人物と主著を挙げると、

  • アルブレヒト・デューラー(1471-1528、独)(画家)『測定術教則』『人体均衡論』
  • アンブロアズ・パレ(1510-1590、仏)(理髪外科医)『解剖実施抄録』『パレ全集』
  • ヴェサリウス(1514-1564)(解剖学)『ファブリカ』
  • タルターリア(1500-1557)(力学)『新科学』
  • シモン・ステヴァン(1548-1620)(技術者)『重量技術の原理』『重量技術の応用』『流体重量の原理』
  • チコ・ブラーエ(1546-1601)(天文学)『新星について』『新しい天文学の機械』

である。これらほとんどが16世紀の後半に出版されている。デューラーは『人体均衡論』で何人もの人体を測定している。パレは理髪外科医という当時の世界では身分が低かったものの最後は偉くなった人物で、体験と経験から机上の学に成り下がっていた大学医学を批判、対照実験を治療中に行っている。ヴェサリウスの『ファブリカ』は解剖学書として木版画を大量に使い、解剖学書として美術的にも美しい本である。タルターリアは弾道学の祖であり放物線軌道の計測を行った。シモン・ステヴァンは何でも屋という感じでのちの物理学の古典となる『重量技術の原理』等大量の本を残している。チコ・ブラーエはこの中では貴族階級に属する人間で異質であるが、王様より島を与えられそこに天体観測施設を作り天体観測を行い精度の高い大量のデータを残し、ケプラーの法則の発見の元になった。

雑感

 古代の権威的な書物が完全ではなく、世界にはまだ我々の知るもの以上の事柄が残されている(当時は古代こそが素晴らしく、創世から離れるにつれ世界は衰退するという退歩史観だった)ということが明らかになっていた時代の空気とはどのようなものだったのだろうか。当時も大学はあったわけで、権威に沿ってスコラ学の授業が行われていた。貴族階級は法律、ラテン語を学んでいた。そこでガレノス・ヒポクラテスの権威よりも自身の経験や体験、実験を重んじたのが理髪外科医のアンブロアズ・パレであったわけだし、プトレマイオス天文学・地理学に誤りがあると気づいたのがチコ・ブラーエであった。その大元にはアルベルティ、デューラーらの絵画の世界での認識・世界観の変容(サミュエル・エドガートン・ジュニアの言う「16世紀知覚革命」(遠近法の発見、分解組立図法、断面図法、透明図法))があったわけだが。
 私が興味をそそられるのは

  • 自然魔術や錬金術が近代化学へ脱皮していくときの認識の変化
  • 絵画とはまず宗教に奉仕するものであった時代の芸術が、遠近法・風景画を発明していくときの世界観の変容

あたりだろうか。
 血を嫌うキリスト教は外科医を蔑視していたことや、手仕事の職人に対する差別などが西洋社会の知的な離陸を阻んでいたというのはその通りだろうし、ラテン語がアカデミズムの知の秘匿体質を作っていたのもその通りだろう。だがそれらは実際の実験や印刷技術の発明によって破られていく。(パノフスキーの言葉で言うと"区分撤去")。しかし、どうも魔術的世界観から自然への畏怖を排除した化学への発展や、遠近法の発明には、それとは別のパラダイムシフトが起こらなければ為されない何かがある気がしてならない。