たもたす。

比較文化、哲学あたりの人文系が好きです。社会学や現代思想も少し。読んだ本、観た映画、日々の記録。

忘年会など

 昨日は忘年会を二件はしごしていました。ひとつは大学のサークルのもの、もうひとつは中学時代の塾のものです。私にとってはどちらも大切なコミュニティなので、顔を出して皆の顔を見れること自体に喜びを感じます。*1みな社会的にもまっとうな道を踏み外さずに歩んでいる方たちです(もちろん、内面には色々とあるのでしょうが、それに折り合いを付けることができるということが、まっとうであることの一つの条件であるように私には思えます)。

 一つ目の忘年会では(参加者40名程度)、面白い人が一人いました。その人は大学の同期なのですが、そいつ曰く「俺は来年には彼女ができて、再来年には結婚する」と言います。同窓会や忘年会で結婚の報告をする同期や先輩が増えてきたことから、焦っているようにも見受けられました。実は、彼は大学1年の時にも「俺は来年には彼女ができる予定だ」と言っていました。そういうやりとりがここ数年、毎年繰り返されています。この調子だと、数学的帰納法によって、彼には一生彼女ができないことになってしまいそうです。私たちは存在の論理と感情の論理、両方の合わさった世界に住んでいるので、もちろんそうとは言い切れません。ですが、きっと来年会った時にも彼は「俺は来年には彼女ができる予定だ」と言う気がします。宴会の一つの持ちネタとなっているのでいいのかもしれませんが、私たちはコンテンツとして消費される存在である前に、現実を生きる存在であるという点も明記しておきたいと思います。このことは最近私もよく考えるテーマです。もし10年遅れて生まれていたら、もしかしたらユーチューバーになったのではないか、などと考えます。想像もつきませんが。

 二つ目の飲み会(参加者5名程度)でも、面白い人がいました。女の子が愚痴っている時に、何を言ってなだめても怒る子っていますよね。そういう感じです。そういうときは「俺は何があっても君の味方だよ、○○(愚痴の対象)が悪い」と言うしかありません。その子を宥めるにはそうしないとどうしようもないからです。「まあそうは言ってもね、」というのは禁句です。さらにお店に迷惑をかけることになります。
 でも彼女はえらいと思うわけです。偉いという言い方はおかしいかもしれませんが、社内の愚痴を内部にぶちまけるようなことは絶対にしない。「私が安心して愚痴を言えるのはここしかないの」というのは、とても正しい。結局、彼女に付き合った僕を含めた男性4人は終電を逃しましたが、それでもまあいいかなと思いました。私はいい人であろうとし過ぎるのかもしれません。

 それでは、また書きます。

*1:それ自体に喜びを感じていてよいのか?という問題意識を持っています。