まだら猫の毎日明るく元気よく日記

生活について書きます。

東京国立近代美術館の日本の家-1945年以降の建築と暮らし展に行ってきた

竹橋の東京国立近代美術館でやっている日本の家展に行ってきた。

まず、系譜学というものについてフーコーを引きながら「系譜をたどって行くことは、一点に収斂するというよりは散逸していくものだ」というような説明のパネルが現れる。今回の展示は

  1. 1945年〜1970年
  2. 1970年〜1995年
  3. 1995年以降

に区切り、それぞれのマトリックスから13のパネルによって展示されている。取り上げられていた建築家は、池辺陽難波和彦、板倉準三、坂木一成、伊東豊雄柄沢祐輔藤森照信隈研吾西沢立衛妹島和世安藤忠雄(ほか多数だが私が知っている方たち)といった面々であった。以下、写真撮影OKだった部分のパネルと作品をいくつか紹介する。

新しい土着:暮らしのエコロジーより藤森照信



…意味がわからないが、これが家なのだ。

さまざまな軽さより西沢立衛



西沢立衛妹島和世の組は瀬戸内国際芸術祭でもよく見ていたので、知っている建築家の作品があってほっとした。ビルの隙間にこんな建築があったらほっとするだろう、という作品。

感覚的な空間より妹島和世


町家:まちをつくる家よら安藤忠雄


清家清設計≪斎藤助教授の家≫

展示室の真ん中にでんと大きな家があったけれど、ただの家という感じであまり人気はなさそうだった。笑

水族館で水槽を眺めるように1つ1つの建築の縮小模型を眺めていけるのでデートにもオススメ。空間というのはコミュニケーションと切っても切れない関係にあるので、絵画系の展示よりも誰かと一緒に行った方が楽しい企画展だと思います。

休日

休日

fitbit的には7時間半の睡眠をとって起床し、30分のランニングを終えてドトールにいる。台風の影響で風が強いけれど今は晴れて空気が澄んでいる。見た夢については忘れてしまった。
今週は月曜に休みを入れたので実質4日出勤だったけれど、木曜に大きな案件が仕事であり、昨日の金曜も大事な仕事を任されていたため精神的にはかなり疲労した。水曜の夜はレッスンだったし。その間、睡眠時間はfitbit的には平均4時間。
昨日の仕事終わりには合コンのような飲み会のようなものに出て帰ってきたけれど、ちゃんとピアノの練習をした。
この週末は予定がないため、さてどうしようかな。9月の10日はTOEICの試験だし、室内楽の合わせもある。ピアノは、練習する曲をもう一曲決めないといけない。ブラームスにするかシューベルトにするか。個人的にはシューベルトの90-2,3とショパンの64-2を3ヶ月くらいで仕上げたいけれど、ブラームスがいいのかなぁ。
あとは、父親のカード決済になっているアップルの支払いを自分の名義カード決済に移して、イヤホンが壊れたので新しいのを買う。先月は美容院に行かなかったから、この土日で済ませてしまおうか。日本の家展のために竹橋まで行こうか。という昼下がり。

井手口陽介と中田英寿

 今日、8月31日のワールドカップ予選をテレビで見た人も多いんじゃないかと思う。私は仕事で後半の最後しか見れなかった。Jリーグアントラーズ戦しか見ない。だが、そんな素人の私でも井手口陽介という選手は目を引いた。それはゴールが素晴らしかったからではなく、何よりもまず容姿が中田英寿に似ていたからだった。難しい時間帯でのシュートだったかもしれないが、他の選手が決めていたのであれば「よく決めた」以上の感想はなかったかもしれない。井手口陽介が決めたから、ではなく容姿が中田英寿に似ている井手口陽介が決めたから、というのが理由になる。私と同じように井手口が中田に見えた人は多かったことだろうと思う。プレースタイルについては私は門外漢なのでわからないが、遠藤保仁タイプなのだろうか。
ガンバ大阪の選手名鑑とベルマーレ平塚時代の中田英寿

 井手口は昨年度Jリーグの優秀選手賞、ベストヤングプレーヤー賞を勝ち得ている21歳。中田英寿は21歳の年にペルージャに移籍している。フランスW杯予選前から頭角を現し、W杯後に移籍した。それからのキャリアは周知の通りだ。井手口にとってはどう自身を売り込むか、その時期が重要になる。サッカー選手の移籍金は25歳を過ぎたあたりから下がり始める。キャリアハイをどの時期に描くのか、本人にはビジョンがあることだろう。来年あたりに欧州主要リーグに移籍すれば年齢的には中田とそうキャリアは変わらない。中田英寿がパイオニアだった頃とは違い、今は2部リーグであれ移籍する選手も多いからだ。

中田英寿は年齢に関係なく物怖じしないタイプだったが、井手口の場合はどうだろうか。最後のインタビューの受け答えを見ても若い頃の中田英寿を彷彿とさせるものだった彼を今後メディアが放っておくはずがないだろう。それだけの逸材であることを注目度の高い試合で多くの国民に見せつけることに成功したと言える。