たもたす。

比較文化、哲学あたりの人文系が好きです。社会学や現代思想も少し。読んだ本、観た映画、日々の記録。

無題

この夏は花火大会とは無縁になりそうだ。月曜日は休みを取ったから三連休。また3日出勤すれば三連休だ。相変わらずランニングは続けている。今日は13時間ほど眠って、さっき走って来た。帰って来てシャワーを浴びて、ようやく1日のスタートラインに立ったところで夜を迎えた。マンションの下でのんびりくつろいでいると、花火大会から帰って来たカップルが何組か歩いていた。時折甘ったるい香水が漂ってくる。夏の甘い香水ほど嫌なものもないと思いながら今日届いた『失敗の本質』を読み始める。

船曳建夫『日本人論再考』読了。

僕はピアノを幼少期から習ったり、今ではヴィオラを弾いていたりする。どちらも西洋文化から輸入されたものだ。であるからして、レッスンでは「ウィーンの人はワルツをそんな風には感じない」とか、「これはハイドンがパリで作曲したものだ、パリの豪華絢爛さ、あらゆるものがオープンでビッグ」とか、演奏に際してそのような文化や環境の差異に依る感覚の違いについて指導を受ける。このような時、自分が西洋人ではなく日本人であることを意識する。音楽家になりたいとぼんやり考えた時、西洋人でない自分が西洋音楽でどのようにそうした感覚の差異を埋めていけばいいのか、そんなことは不可能じゃないか、とか、その意味について考えたこともあった。10代の後半から、20代の前半にかけてだったと思う。もちろん、答えが出るものでもなかった。
この本に出てくる様々な日本人論は、西洋近代とそれに相対した日本人のアイデンティティの揺れを書き起こしたものだ。ただし、僕は昔の偉人たちと違って日本国家の国民としてのアイデンティティ、みたいなものは殆ど意識したことがない。この本で言うところの日本という「世間」に生きている人間、として西洋を意識している、と書けるかもしれない。久しぶりに漱石でも読んでみようかな。船曳建夫『日本人論再考』読了。

「日本人論」再考 (講談社学術文庫)

「日本人論」再考 (講談社学術文庫)

お金の使い方と心の健康について

肉体を健全に保つことは心を健全に保つことだ。というのは、健全な精神は健全な肉体に宿る、という言葉を引かずとも科学的にも立証されている。脳科学の研究が進んだ現代でこそ立証されているものの、この言葉の元を辿れば、それはドイツ体操の創始者ヤーン(だったと思う)に行き着くだろう。国民国家形成のために身体が利用されたのだ。日本のラジオ体操も近代国家建設のための国民教育という側面がある。皆と同じ動きをするというのは北朝鮮のお祭りを見ての通り、一なる国家の象徴だ。東京都知事の動きは注意深く見守る……というような話をするつもりはない。

そうではなく、お金の使い方も心を健全に保つ上で大事な要素なのではないか、と思うのだ。どのように、と問われると難しい。しかし例えば、キャバクラに月10万使う人とそうでない人とでは生活が違うであろうし、使う時間も違うだろう。時間。お金の使い方とはつまり時間の使い方に繋がっている。アマゾンで電子書籍を1,000円で購入するとき、僕は3〜5時間をその書籍を読むのに捧げる。同じように、dmmで期間限定セールになっている成人動画を200円で購入する時、僕は〇〇時間を××のために使っている…。ドトールで220円のアイスコーヒーを買うとき、僕は30分を読書のため(勉強のため)に使っている。伊勢丹で16,000のシャツを買う時……等々。命とは時間だ、と日野原重明先生が仰っている映像が先日流れていたが、これはその通りでじゃあ時間というのはなにかと言うと、私たちがお金を出して買っているものだ(もちろん買わなくても使える時間はある)。

浪費が過ぎて精神的に不健康な人、ギャンブルに費やす人というのは、そこには時間というもう一つ浪費しているものがある。つまり、時間の使い方を見直せばお金の使い方も見直さざるを得ない。